つらい、からこそ輝く人生

30代の男が考えてることを前向きに書いてます。

育児は僕に「ただ、今を生きること」を教えてくれる。

未明に泣いて起きたり、ご飯をうまく食べれなかったり、オムツ変えているときにジャストタイミングで放尿する。着替え1つにも時間がかかる。

 

どれか1個が1日1回なら良い。微笑ましいなという気持ちが勝つだろう。

「この小便小僧め♪」となおさら愛おしく対応できる。

 

でもこれが毎日ランダムで複数回やられるとそんなことは言ってられない。

コンマ1秒でもいいから今この状況がすぐに終わるように祈りたくなる気持ちでいっぱいだ。

 

ぐずる我が子を抱えながら見る夕日は、なんだか世の中から自分が取り残されて、この時間が明日も明後日も永遠にぐるぐる続いていくように思える。

 

悲しくも、辛くもない。幸せなはずなのに、思わず出るため息。

誰のための時間か?何になる時間なのか?何か僕が悪いことをしたのか?

 

誰かを責めたくなるけど、その矛先は無い。

 

そんな感覚に囚われていることを自覚した時には子供たちを撮ったカメラロールを頭から見直す。

 

無邪気な、笑顔 真顔 変顔 泣き顔 困り顔 ポーズ ご飯を美味しそうに食べてる。

生まれたての顔から、少しずつ目鼻立ちがはっきりして、髪の毛が増えて、服のサイズが上がって、少し前の服はもう入らない。手も足も大きくなった

 

寝転ぶだけだったのに、寝返りして、後ろにズリ這いして、ハイハイしたと思ったらすぐにつかまり立ちして、よちよち歩きからへたくそなかけっこができるようになったと思ったら、こっちも走らないと追いつけないスピードになった。

 

泣くだけだったのに、あーあー んまー ママ パパ くちゅした(靴下) ごそば(やきそば) おはよう おやすみ ほんとにおこってるんだからね! どこでそんな言葉言ったっけ?ってことがたくさん。

 

たった数か月で、たった数年で全くの別人になってしまう。振り返ればあっという間で苦しかったことの記憶は薄れていて、楽しかったことがぼんやりと残っている。

 

きっと、これからの君はもっと成長して、僕を置き去りにする日が来る。子供じゃない、大人の君が知らないうちに本当の君になるんだろう。

 

「明日はどんなことができるかな?寂しいけど、楽しみだ。」

 

こう思えたら、その日あった細かなことは嫌なことも良かったこともすべて大事な思い出で、今日しか出会えないイベントだったんだろうと腑に落ちる。

 

その日では分からない成長も、時間が経つとびっくりするくらいの成長。その一部を、毎日、毎時間、毎秒のやり取りの中で繰り返し、進んだり戻ったりしながら紡ぐ日々は本当に貴重な体験だと思う。

 

だから明日も、僕なりに懸命に生きよう。そうしたら、またすぐに君と笑い話ができるだろうから。