つらい、からこそ輝く人生

30代の男が考えてることを前向きに書いてます。

家族のために生きててよかったことがありました。

最近の悩みだったこと

 

長女を授かってから約4年。

妻のPMDDや育休や復職からの育児など、目まぐるしく移り変わる生活に行き着く暇なく、収入を上げるための努力もしておらず、さながら蟻地獄に迷い込んだかのような感覚に囚われていました。

 

自分がこうしたいわけじゃないのに、そうせざるを得ない。ほんとは自分の好きな時間に自分のことだけに集中できれば全部解決するのに。

 

僕の友人では子供が2人いる生活をしている世帯はほぼおらず、自分の現状と理想のギャップに押し潰されそうになるも、妻以外に相談できる人もおらず、たまには散々話してきたのにそれでも積もるモヤモヤがとてつもなく大きくなってきました。

 

朝起きてから寝るまでにやることは誰かのためのことばかり。

 

自分のための時間は2時間程度。それだって疲れている状態だから、娯楽に走ってしまって自分を高めることができていない。

 

誰かのせいで、

ほんとはやりたくないことをやって疲れてるから、

だから自分は頑張らなくても仕方がない。

でも、そんな言い訳してたら、いつまで経っても変われない。

 

毎日グルグルと同じことを考えてはため息をついて寝るだけ。

 

動きたいはずなのに動けない、動かないという矛盾。実は自分は本当は何もしたくなくて、向上心なんかなくて、ただ死ぬまでゆっくりできていればいいのかな?と疑っています。

 

娘の修了式がおしえてくれたこと

 

コロナの影響で家族以外と触れ合う機会は激減し、ずーっと子供と同じ空間で過ごす毎日は正直苦痛でした。

 

何がってことはないけれど、ずっと話しかけられて、ご飯たべて、お風呂入って、泣いたり、口ごたえされながらの日々はゆっくりと僕と妻の何かを削っていきました。

 

それに加えて下の子の夜泣きが襲ってきて、十分に寝れない日が数週間続きました。

 

心身ともにズタボロでした。もう無理かなー、投げ出してどっか行っちゃおうかなと本気で考えてました。

 

何も進歩しない毎日に心から辟易としていました。その上、ここ数年の収入が上がっていないという現実が自分の将来性を絶望させる要因でした。

 

その流れを断ち切ったのが娘の修了式でした。

 

娘はたくさんの友達から好かれているようでした。

返事がきちんとできるようになりました。

先生に甘えられるほど、家族以外の人に心を開くことができていました。

友達を慈しむ心を持っていました。

 

なんとなく、成長したなあ。と感じていたものがこの瞬間、娘を通じて自分にハッキリと感じられる内容でやってきました。

 

自分たちがやってきたことが娘の人生に大きな影響を及ぼしていることの実感。そして今のところは、それは良い方向に進んでいそうだと言う手応え。

 

この数年時に嫌になりながら、なんとかしがみつきながらやってきたことの結果が突如渡されました。

 

無駄じゃなかった。

やっててよかった。

僕が生きていく価値はある。

 

積もっていたモヤモヤがさーっと崩れて無くなってきました。

 

 

時間はかかる。結果も出ないかもしれない。それでもやってるといいことはある、かも。

 

親になって、初めて通知書をもらった感覚です。よくできました、って。

 

毎日の彩りが戻ってきました。それを感じたのはその瞬間だけでしたが、それだけで今までの全てが報われました。

 

だから、また適当に頑張ろうと思います。

人生は長い。育児は辛いことの連続。ままならない日々を納得させるのは難しいけれど、今この瞬間は遠い未来のどこかで役立つと信じて。

 

今日は以上です。

お読みいただきありがとうございました。