つらい、からこそ輝く人生

30代の男が考えてることを前向きに書いてます。

大手企業の友人とそうじゃない僕

学生時代からの友人と最近会ったのですが、優秀な彼をしてもこのジレンマに陥るのか。と僕が頭を抱えしまった話です。

 

日本にある多くの組織は営利目的が主たるものにあると思うのですが、このお金たくさん手に入れようぜ!という無限ループの行き着く先に対しての虚無感が甚だしいなと思うのです。

 

前年比より何%プラスという経営目標が定まり、それが各部隊に伝達され数字として具体化したものが各個人に下される。そして新年度がまた始まる。というのがよくあるサイクルだと思うのですが、これってなんなんでしょうね?

いつまでやればいいのか?なんでこんなことしないといけないの?って真剣に思います。

 

友人は優秀が故に結果も出せていて、組織からも信頼されていて責任が出始めている。やるべきタスクは数多くあり、元からプライベートも仕事に捧げながら生活しているところにさらに上乗せされるタスク。ますます私生活は無くなり、仕事一辺倒にならざるを得なくなり、仕事して寝るという生活。

 

彼は学生の頃から勤勉でがむしゃらに自分の限界に挑むように進んできました。人よりも倍こなすことを本当にやってしまうバイタリティはすごいなと思っています。贔屓目なしに見ても一生懸命やってきた彼が今、悩んでいる。

 

このまま仕事に没入するのか、プライベートの時間を増やすのか。この二者択一を迫られている。

 

話変わって、僕は彼には遠く及ばない貧弱サラリーマンなわけですが、似た状況に4年ほど前に遭遇したのです。僕も一応大手企業にいまして、月に60時間くらいの残業が当たり前の生活をしていたのですが、結婚を境に自分のことだけ考えて生きていく生活に限界を感じて逃げ出しました。中小企業に転職して定時で上がるけど、給与は下がるというよく見る負けパターンです。

 

でも僕はやっぱり、あのままその企業にいたら今の子供が2人いて、妻と仲良く暮らせて、人生の豊かさってこういうことかな。という感覚を掴むことはできなかった。と確信しています。

 

時間は有限で、それを何に使うかというのは個人に委ねられているわけです。自己責任です。

当たり前ですが、組織は自分の選択まで責任をとってくれません。その組織でうまく立ち回らなければ、静かに見放されて飼い殺しにされる

。うまく立ち回れても、やればやるだけタスクは増やされて自分が潰れるか、人としての何かを消耗して生きていく可能性が高い。

 

イキイキしながら働けるというのは本当に一握りだと思います。そもそもそういう風に見える人って僕からすると「今を生きている人」なんですね。

 

今を生きるためには、明日はこうなりたいとか、いつかこうなるんだぞ!っていう情熱みたいな思いが不可欠だと思うんです。

 

情熱、やりたいことと言い換えることもできますけど、これは人生経験の幅と深さからしか生まれないと思うんです。絶対的に人とは違う濃度の経験を一定時間自分に蓄積する必要がある。これはおかしいぞ?という感覚を信じて行動に移せるようになるまでには数年単位の時間が必要だと思います。これは僕の経験ですが。

 

学校出たての人がすぐに情熱を持つには難しいし、一つの会社、一つの組織、まして周りを見渡せば違いはあれど、共通認識がたくさんある日本人が多いわけですから、深く考えて生活していなければこの蓄積を継続することは難しい。そんなことよりあれしよっ。みたいなことでそのきっかけは流れていくと思うんです。今の日本は幸か不幸かそういう仕組みになってしまっている。

 

どんな経験だっていいのですが、この経験からはみ出ることでしか、情熱は湧いてこない。

僕たちは感情があって、昨日思っていたことが今日嫌になることもあるし、人が変わったような行動に出ることもある。それが当たり前であって、昨日と同じことをしてたんでは自分の理想には近づけない。

 

友人は優秀で、優しい。いいヤツです。でも組織はそこまで汲んでくれない。最終最後は成果が出るか否か。与える権限を増やすか減らすか。シンプルです。

 

僕自身の転職という決断もハッピーなことは最近になってやっと少し実感できるようになってきているのであって、それまでは転職しなきゃよかったかな、と思うことがたくさんありましたし、妻にも迷惑をたくさんかけています。どうにか現状をさらに好転させていきたいと悩んでいる最中なのです。

 

僕は自分が無理せず続けられることで生活をしていけることが理想です。好きなこと、というより無理せず自然に続けられることという感覚です。熱中できるほどのものって無いんですよね。このブログもそうですが、あとは筋トレくらいでしょうか。前途多難な感じです。

 

ただ強がりではなく、転職前より人生の幸福を感じるアンテナは高まりました。いろんな痛みを経験することで、当たり前にあることに対する感謝の気持ちが高まったことが要因かと思います。

 

擦り潰れてしまうくらいなら思い切って自分の心に従うのもありじゃないでしょうか?僕はそう思って生きています。

 

本日は以上です。

お読みいただきありがとうございました。