《ゆとりおやじ》気がつくと地獄、慣れると日常
なんとなく日本人として生きてきて、自分から見てもそれなりに頑張ってきた。
でもそれだけだと地獄を見ることになるというお話。
大したことのない高校だったけど成績は5番手くらいで、大学も高校からすれば良い偏差値のところに入る。大学では好きなことを好きなようにやり、周りからも少し尊敬されながら卒業。
ここまではよかった。
恋愛とかできなかったのは心残りだけど!それはご愛嬌だ。
問題は新卒としてサラリーマンを始めてからだ。何を取っても楽しいことはない。やることなすことがうまくいかない。それが続くとやりたくなくなるという悪循環。
会社の同期で少し年上だけど、話が合うやつがいた。彼は上昇志向の強いやつで、僕が退職理由ともなる先輩ともうまく付き合っていたし、仕事でも評価されていたなあ。
自分もできるんだ!
なんて思おうとはしてたけど、実際にはできなかった。
まず先輩がこわい。
その部署のエース格で、鬼みたいにこわい先輩だった。
電話を取るも、向こうの言っていることが分からず安易に質問すると、ググれカスと言わんばかりの対応をされる。
今にして思えば、僕の成長を思ってのことだったのかと思っているけど、当時の僕には「こんな冷たい人が先輩になっちまった!1番苦手なタイプ!」と入社早々から、結局退職するまでずっと苦手だったし、最後は顔も合わせることも話すこともできないくらいの関係になってしまった。当然ながら仕事がうまく回るわけがなく、できない→怒られる→こわいから質問できない。
という典型的なループを2年くらい過ごす。
それと並行して新卒の時に初めての彼女ができた。大学の同期でお互いのことはよくわかっていて意を決して告白。
人生で初めての彼女を逃さないように結婚を勝手に意識して
結婚を前提に付き合ってください。
って言ってたな。
これも自分を苦しめる選択の一つだった。
会社でそんな感じなのに、童貞で初彼女なんだから恋愛なんかスマートにできないことを事前に誰かに相談すべきだった。
月曜から金曜までで会社で怒られ、土日は彼女と半強制で付き合わねばならず、大学から続けていたスポーツも社会人チームに入ると途端にレベルがあがり、チームに馴染めず週末の練習に行くことが本気で嫌になった。
我が母は、新しいことを一つずつやりなさい。と言っていたが、その通りだわ。正解だよ。
嫌で辛い思い出ばっかりで、自分がやりたいことなんて何一つなかった。それが正直な感想。
結婚もした。転職もした。子供も生まれた。側から見れば一般的なサラリーマン家庭を築いている。それでも心の中はドロッドロだ。
なんで自分はこんなことをしているのか。
全部自分で選んだことなのに、どうして楽しくならない。どうして誰かから責められることが増えて、認められる実感を得るチャンスが減るのか。
こんな感覚が22歳から29歳の最近まで本気で悩んでたことでした。このまま消えちゃいたいなとか、死にたいななんて思ったことは数えきれないけど、なんとか流されながら生きながらえてきた。
絶望しかないと思ってた。自分のことをどんどん好きじゃなくなっていくのは毎日毎秒が辛かった。
ただ、7年もその感情を抱えることでやっと気づけた。
たぶん、これが大人になるってことなんだ。
やったことは全て自分に返ってくる。前にも後ろにも責任を取ってくれる人はいない。ただ己の足で進むしかない状況で、迫られる決断はいつも重いものばかり。
自分が育ってきた環境がいかに甘いかを今になって教えられてるんだ。社会人になってから出会う人は縦にも横にもどんどん広がったけど、
いつも、この人は自分よりもはるかに過酷な環境でそれでも進もうとしているけど、なんでそんな頑張るんだろう?
そんなことを思ってた。でも、それは当たり前で、その人は大人で、自分で自分の決断の責任を取れる人で、かつ上昇してやろうって思ったらすごい人なわけだ。
そんな人からしたら、自分なんて本当に子供で、チンケな存在で、近くにいたら怒るよなあ。
環境が甘かったから自分がこうなったのではなく、そこに甘んじた自分が悪いわけで、そのしっぺ返しをもらっていた日々だったと。ようやく腑に落ちた最近。
だから僕も大人になる。